さようならの月?
12月です。「この1年あっという間だった」と思う人もいれば、
「あの震災からまだ1年も経っていないのか、長いなぁ」
と感じる人もいるかもしれません。時間は面白い。
伸びたり縮んだりするし、その幅もかなり大きい。しかも濃淡もある。
油絵具で塗ったような濃い時間もあれば、薄墨で描いたような淡い時間もある。
今年1年が短かった人も長かった人も濃かった人も
そうでもなかった人もみな12月の声を聞くとはやはり
「せわしないなぁ」と感じているのでは思う。
街にはいつの間にか風物詩になったイルミネーションがあちこちに飾られ、
早くもクリスマスソングがいたるところで流れ、今年の総括があちこちのニュースで取り上げられる。
しかも年末の数日は休みに入るし、クリスマスはどうする?
大掃除はいつ?年賀状の準備は?
年末感を煽られること甚だしい。せわしない、慌ただしい、落ち着かない。
だけど、いやだからこそ、12月のどこかにゆったりした独りの時間をつくることも必要では。
西暦2024年=令和6年という年にちゃんと「さようなら」をいう時間を持ちたいと思うのです。
この1年の出来事を思い出して、2024年はどんな年だったのか。
もちろん横には好みのお酒とショコラを置きたい。
ショコラを口の中でゆっくり溶かすように今年1年という時間を反芻する。
それがどんな時間でも、もう2度と訪れない時間。
2024年にありがとうの感謝を伝えるとともに、
2024年という時間にちゃんと「さようなら」を言っておきたい。
私の場合はどうだろう。この一年は夏の暑さばかりが蘇るけど、
その夏に見上げた花火は一生忘れないかもしれない。
そんなことを考えている時にふとある人の言葉が頭をよぎった。
スイスの天才時計職人フランク・ミューラーの言葉だ。
彼は言う。「本当はね、時間なんてないのだよ・・・」
時計があるから時間が生まれるのかもしれない。
カレンダーがあるから1年に終わりがあるように。